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100420 龍谷寺

4月20日(火)くもり


暖かいけど、くもりぞら。
スイセンの花は見たけど、石割桜はまだ。

あそこはどうだろうと、寺町通りを北上する。
龍谷寺のモリオカシダレもまだつぼみは固い感じだった。

境内を見渡してみると、大きな石碑があった。
説明板を読むと、維新の志士 蛇口安太郎の碑とある。
千葉道場の文字にちょっと反応なんかしたりして。
盛岡からも行った人がいるんだなあ。

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維新の志士
蛇口安太郎の碑

 蛇口安太郎は旧姓を久保田といい、天保10年(1839)3月1日盛岡市花屋町のほど近くに生まれる。子供の頃より学問・剣術に秀で、長じて藩より有為の士として江戸留学を命ぜられ、北辰一刀流の千葉道場に学ぶ。
 当時の千葉道場は、攘夷討幕理論を奉ずる多感な青年達の熱気に溢れ、水戸天狗党の筑波山挙兵にあたり、道場の学友とともに蛇口もこの挙に加わり討幕への道を一筋に歩む。
 この動乱は元治元年(1864)3月に始まり、関東一円を兵火にさらし、翌、慶応元年(1865)2月義挙の指導部全員が雪の北陸で処刑され幕を閉じる。その数ヶ月前、北辰一刀流の剣の冴えで勇名を馳せた蛇口も、最大の戦いの場であった常州那珂湊(茨城県)で、集結した幕軍の軍船からの十字砲火に傷つき落命す。時に元治元年9月30日、享年25歳であった。
 この碑は、原敬が政友会総裁になった翌年の大正4年11月、蛇口安太郎に対し従五位の追贈があったのを記念し菩提寺に建てられたもので、碑文は当時の岩手県属岡山直機の手になる。
平成4年4月
龍谷寺
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説明板は文字がかすれた部分もあるけど、おおむねこのような内容。
歴史に「もし」はないのだが、その先も活躍できたらなら、どうなっていたのだろうか。

まったくこの話題とは関係はないのだが、
春の空をみるたび、あの人がいてくれたらなと思うことがある。
でも、いないのだ。
その事実はなかなか簡単に受け入れられないでいる。

(きょうのコミセン)
100420honcho-komisen.jpg

本町地区コミュニティ消防センターは油町の筋にひっそりとある。
建物のかたちもよくみると、変則的。
かつて本町のメインストリートにも番屋はあったようだ。
そんな古い写真を新聞で見た。

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○県議会 政和・社民クラブは会派を解消。社民党(3人)とゆうあいクラブ(2人)に

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