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130612 東京都文京区本郷二丁目

2013年6月12日(水)東京は雨ベース


僕は本郷というエリアにいた。
啄木や賢治が住んだことがあるはずだよなという適当な知識で歩みを進める。

旧町名の案内板があった。
そこには「石川啄木は、明治42年喜之床の2階に間借して、不遇の中に傑作を残した。」との記載。
道を丁寧になぞっていくと、今度は工事現場の壁に近隣の名所地図があった。
具体的な場所が記載されており、その場所は春日通り沿いにあることがわかった。

広い通り沿いに面した4階建てのビル。ここがそうらしい。
案内板によると、1909年6月から2年2ヶ月、啄木はここに家族で住んだらしい。
優れた作品もここで生まれたのだとか。

すごいなと思ったのが、まだそこに理髪店があるということ。

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本郷は東京に住んでいた頃には縁遠い場所だった。
歩けば歩くほど、盛岡にはない風景にクラクラする。
話には聞いていたが、すてきな高低差があちこちにある。

車の通り抜けができないという標識があちこちにあった。
それはその先が階段だったり、曲がれないほど狭い道だからである。
こういうの盛岡にはあまりない。

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宮沢賢治旧居跡を目指していると、菊坂に出た。
なんかぼんやりと聞いたことがある響きの地名だった。

緩やかな坂みたいな通りは商店街のようだ。
通り沿いに旧居跡を探してみるがなかなか見つけられない。
菊坂の端まで歩いてしまう。

今度は地図でちゃんと目星を付けて再チャレンジ。
すると小さな階段沿いに案内板はあった。

賢治は1921年1月に上京して、同年8月までここに住んだらしい。
「どんぐりと山猫」はここで書かれたものだそうだ。
どの建物か実は判然としなかったが、雰囲気だけを味わう。
先人の思いに近づいてみる。

○盛岡市発注工事の入札不調は66件(2012年度)
○平川食品は1950年12月 南大通で創業
○国土交通省 奥州、矢巾、滝沢南のスマートインターチェンジの新設を許可
○メモ 壱佳(いっけい)、啓佑(けいすけ)、朝陽(あさひ)、虎暖(とらはる)、謙太/楓華(ふうか)、瑞葵(みずき)、悠菜(はるな)、愛輝(あいら)

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