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もりおかの坂 その83

もりおかの坂 その83 ガード坂(青物町坂)<仮称>


県道盛岡環状線は明治橋を渡らずに、手前で左折。
わずかですが、川沿いの土手の上を走ることになり、岩手山が綺麗に見える区間。
舟っこ流しの日には賑わう場所。

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アークビル付近から、県道は川から離れ、下り坂がはじまります。
東北本線をくぐるためです。
車道は深堀りに、歩道は浅い感じでくぐろうとします。
そして、本宮へ。

今では、盛岡の商業の中心のひとつとなった盛南地区。
個人的にもこの坂はよく通ります。

本宮方面から川沿いに出るために登っているときが好きです。
漠然とですが、希望みたいなものを感じるのですよねえ。
そして岩山、明治橋を見えてくると、帰って来たなと思うわけです。
その反対に、仙北町から本宮に行くときは、別世界へ行く感じがしますね。

070816koisaka3.jpg

この道路には脚が短い歩道橋が設置されていて、そこからの眺めもなかなか。
車、人、チャリンコ、バイク・・。
それぞれがそれぞれに動いていく様を見ることができます。
地味ながら素敵な傾斜だと思います。

名前は冴えませんが、「ガード坂」にして仮置き。
もっと良い名前つけてあげたい坂です。

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コメント

青物町
内加賀野さん お久しぶりです。
青物町にはじめて行ったときは、すごく感動した思い出があります。
ふっと、こう迷い込んだ感覚。忘れられません。
線路沿いは少し変わりましたけど、あとはそんなに変わっていないのでは?
仙北町かいわいでは、やはりはずせないスポットです。
映画
「花くれないに」の他にも、まだあったんですね。盛岡な映画。
「大いなる旅路」。頭の中に刻んでおきます。
三国連太郎があの場所に立っていたなんて、ファンでもないのですが感動的です。

お話からすると、昔の仙北町ももっと鉄道っぽいところだったみたいですね。
その頃の町も見たかったものです。
青物町の思い出
小学生の頃、盛商に算盤の検定を受けに行った時、行きはバス、帰りはちょうどいい時間のバスがなくて、てくてく歩いて帰ってきたことがあったのですが、その時、青物町を通って、クランクになっている道沿いの家が格子窓とかの古い街並みで、なんとなく「宿場町」の歴史を感じた思い出があります。
江戸時代は、舟を並べて橋渡ししていて北上川の水が増えると通行止めになったそうですから、きっとそういう時は逆に青物町は賑わったのでしょうね。
大いなる旅路
青物町の踏み切り付近でその昔「大いなる旅路」という三国連太郎主演の映画のロケがあったそうです。
その映画を観ると昭和30年代前半の盛岡の街がよくわかります。
まるとさんが思っていた土手沿いの道の突き当たりは約30年前までのメインルートでバス通り、当時は
貨物列車が現在みたいにコンテナ車両のみの編成でなく、色々な貨車が連なっていて仙北町駅でも
貨車の入れ換えがあり、その作業で踏切の遮断機が長い時間閉じたままになり渋滞がおきていました。
現在、渋民の鉄工団地で操業している北日本機械は仙北町駅の南側の隣接地(現在は公園、地区活動センター)にあり引込み線が工場の敷地内まで延びていました。
当時の仙北町駅は小荷物の扱いもあり、作業服を着た自動車のディーラーの作業員が急ぎのパーツを引き取りに、秋は沢山のリンゴ箱が山積みになっていました。
私も大学生になって下宿生活を他の土地で始める布団などの生活用品を仙北町駅から小荷物で送りました。
それから、駅前には日本通運の支店もありましたよ。
てっきり
私は、明治橋の上の土手沿いをそのまま進んで、セイナンさんあたりの痕跡がそうなのかなと思っていました。
青物町
昔この坂がまだ無かった頃、青物町の突き当りが踏み切り
になっていて、青物町は仙北町から本宮に向うメーンルート
だったそうです。
さすがに私もその時代をリアルタイムには知りませんが。

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