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081218 某所

12月18日(木)某所はくもりのち雨


路面電車の終点からはじまる坂道をのぼった。
他のに比べれば緩やかに進む坂だった。
奥まで進んで行くと、外国人墓地がある。
ペリー艦隊の水兵さんを埋葬したのがはじまりという。
その他にもロシア人墓地、白百合学園をはじめた人の墓地もあった。

外国人墓地の近くにあったのが「南部藩士の墓地」だった。
説明板が設置されているからその概要はわかったけど、観光で訪れる人は少ないだろう。
自分もこの現場に来るまで知らなかった。
「南部陣屋箱館詰藩士之墓」と大きな墓石。
それから周囲に小さな墓石。

1854年に蝦夷地が再び幕府の直轄地になり、南部藩も警備と開拓をすることになった。
南部藩は箱館から幌別(現登別市)までを担当し、600余名が勤務していたという。
幕府が倒れるまでの間に函館で弔われた人のお墓を昭和12年に集めたもの。

いまよりももっと遠く感じたであろう場所でなくなった先人に手を合わせる。

(この町の坂)
この町といえば有名なのが坂道。
名前がついた坂道が西から東へずらりと並ぶ。
19ある坂をすべて訪ねてみた。その中で気に入った坂を。

■姿見坂■
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海まですらりと延びるラインがステキだと思った。
かつて、坂の上にあった遊郭の遊女たちのあで姿が見られたことが由来らしい。

■チャチャ登り■
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教会が集積するこの町のこてこての観光ポイントに存在する。
アイヌ語由来の坂名で、おじいさんの意味。
あまりにも急なので登る姿がおじいさんになっちゃうことが由来。

■二十間坂■
081218nijyukensaka.jpg

由来はそのままで幅が二十間(約36m)あるから。
火事が多かったこの町での防火帯の役割も果たしていたという。
広い坂というところが、変わっていて印象に残った。

【不定期連載】橋のプレート その100 北大橋
081107kitaohashi.jpg

盛岡バイパスはいろいろ言われている道だけれども、どこかにくめないところがある。
その理由に昭和44年開通というのがある。ただそれだけの非論理的な理由だ。
「きたおおはし」は北上川に架かる橋。高松・館向町と上堂をつないでいる。
少し平たいレタリングが時代を感じさせるプレート。
竣工昭和44年3月。

○旧中央卸売市場跡地の1区画 滝沢村の医療法人社団が売却公募に応じる

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