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090526 内丸

5月26日(火)晴れだったらしい


自分サイズの息を吸って、その場には臨んだものの、世の中は思った通りには動かない。
だから面白いのだが、それが言えるのは終わってしまってからのこと。
思い出に変わるまで・・なんて言葉があったと思う。
そんな心境で盛岡市役所あたりを通ったときには闇が少しずつしのびよる時間帯。

この時計がある部分も耐震化の関係で消え行く運命にあるという。
市庁舎ができたのは昭和37年。
当時の市広報をみると、屋上4階は消防望楼と書いてあった。
・総工費 約3億6千8百万円
・総面積 約1万30平方メートル
・地下1階、地上8階
・地上から屋上4階望楼までの高さは約40メートル
その頃は革新的な建物ではあったんだろうなあ。

何事もいずれは古くなる。
少しずつ実感としてわかりはじめたこの頃。

■もりおかの集積所(第四部)■ その156 大館町・柵との調和
090222odotecho.jpg

大館町も面白い集積所がそろっている。
こちらは東子供会に属するエリアにあるもの。
つぎはぎになった木材たちと三本線と柵との調和がすてきだ。

○桜山神社の例大祭が25日から。武者行列には南部家当主第46代・利文氏が登場(25日)
○春の高校野球県大会 盛岡大附が3位。優勝は花巻東(25日)
○岩手日報社の第71期決算 2億3900万円の営業損失、当期純損失は1億2400万円で2期連続の赤字
○盛岡市のジニ係数 世帯主所得0.3926、全世帯員所得0.4097(07年 市まちづくり研究所調べ)
○なまえ 晃祐、清流、美優、五月

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コメント

岩手焼
へのへのもへこさん
私の中では、山田線に残る「岩手焼踏切」でその名前が印象に残っています。
窯があったことも想像しづらい現状ですが、伝えていく必要があることだと思います。
岩手焼
私は昭和30年、盛岡市山岸三丁目で生まれました。
小学校4年まで盛岡で育ち、以降は父の転勤で北海道にわたりました。
祖父は私の生まれるすぐ前に60代前半で亡くなりましたが、岩手焼の職人でした。
庭を掘ると祖父の失敗作が沢山埋めてありました。父も先年72歳で福井で亡くなりましたが、実家には岩手焼の祖父の作品が1点くらいはあると思います。
盛岡には数年前行きましたが、すでに生家の建物はなく、じゃりになっていました。
岩手焼を検索したら、このブログに当たったので懐かしくなり投稿しました。
母は車いすですが健在で、杜の街という雑誌を購読するのを楽しみにしています。

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